国語力が身につく教室(著者:斉藤孝)

読書

人間の土台をつくるもの、それは思考力。
思考力の土台になるのが母語。日本人であれば日本語。
母語で思考する事をしっかり認識するところからすべてがはじまる。

現代は歴史上で最高レベルの実用的な言語活動が求められているにもかかわらず自分の国語力に自信が持てない人が多い。

国語力は思考をする上での土台なのに。

国語の勉強は高校までで終えてしまう人が多い。国語力をしっかりと鍛えなおさないと、本当のところでの人間性を培い、社会性をより広範囲に発揮していく事が難しいのではないか。

本書は、もう一度国語における四股を踏み直す、スクワットをして足腰を鍛えるための具体的なトレーニング法が数多紹介され、腰を据えてやってみようという人には根本から変わるための力になれる一冊である、と著者は訴えています。

母語。日本語。・・・本当に難しい。
私も自分の国語力に自信を持てないタイプです。

人に何かを伝える機会、例えば発表・プレゼンなどで、自身の思いを言葉でうまく表現できない、そもそも自身の頭の中でグルグルしている思考が整理できているのか。

その解決方法を求めて、斎藤先生に弟子入りのつもりで読破。
実践してみたい、面白いと思ったポイントを3つご紹介します。

1.日本語の基礎力は翻訳で鍛えられる

翻訳は、欧米の言葉で書かれた文章を日本語に訳すに当たって文の構造が異なり、私たちの話し言葉とはかけ離れているので、きちんと論理をとらえる力が必要になります。英語の文章を日本語に翻訳するとき、英語の構造というものを理解して日本語のするためには、仕上がったものを本当にこなれた日本語にするまでにもう1、2段階の作業が必要になります。その、こなれる前の文体がいわゆる翻訳文体ですが、これを読んで理解する事が、おおいに国語力を鍛える事になります。

2.文脈を外してしまう人の悪癖

一つひとつの話にまとまりがないこと自体も問題ですが、話題と話題の間に脈絡がない、これは文脈力の欠如です。そこで文脈力が低い人が使いがちな言葉が示されています。

「ていうか」

「というよりは・・・じゃないか」を意味するところから、今では話題を突然脈絡なく変える時の便利な言葉として使われている。しかし「ていうか」の乱用で会話の流れを断ち切る事は、会話によって相手と自分の間にできるはずの文脈を軽視あるいは無視するものです。

「全然話は変わるんだけど」

話題が変わる事を意識している点では「ていうか」よりはまだよいとしても、急ブレーキを踏んで方向転換するようなもので、相手にとってはそれまでの会話の流れを一方的に断ち切られ、不快感が残ります。

「逆に言えば」

本来は議論が行き詰ってきたときなどに、視点を転換するような発言の前置きとして使われますが、「逆に言えば」を口癖にしている多くの人は、話を逆接でなくむしろ順接でつないでいたりする。無意識に使ってしまう人は自分が会話の主導権を握りたいといった自己顕示欲があるためです。

「でも」

相手のそれまでの話を一応肯定しながら、改めて相反する事を言うときに使う接続詞です。自分の話に対して突然「でも」と切り返されたら、人は身構えてしまいます。会話に逆接の接続詞はいらない。

3.知性とは「わからないこと」から逃げない勇気

読書していて「わからなさ」に出会ったとき、どのように対処するかというところに、その人の知性があらわれます。「わからなさ」から逃げていると世の中のことはたいてい「意味がない」ので、「勉強する意味もない」となります。また「自分は、そんなことも理解できない無能な人間だ」という自己否定にはいってしまう。知性というのは新しいものを目の前にしたときにそれを恐れない勇気です。むしろ「そうなのか!」と驚く感性こそが知性です。

日々の小さな出来事にも意識をもって積み重ねることが、国語力の向上に大事だなと学びました。意識高い系に、俺はなる。

 

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